大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成5年(オ)764号 判決

上告人

D・甲野

右訴訟代理人弁護士

永田誠

被上告人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

中島通子

井深泰夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人永田誠の上告理由第一点について

一  所論は、日本国籍を有する被上告人からドイツ連邦共和国の国籍を有する上告人に対する本件離婚請求につき我が国の国際裁判管轄を肯定した原審の判断の違法をいうものであるところ、記録によって認められる事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告人と上告人とは、昭和五七年五月一五日、ドイツ民主共和国(当時)において、同国の方式により婚姻し、同五九年五月二三日には長女が生まれた。

2  被上告人ら一家は、昭和六三年からドイツ連邦共和国ベルリン市に居住していたが、上告人は、平成元年一月以降、被上告人との同居を拒絶した。

被上告人は、同年四月、旅行の名目で長女を連れて来日した後、上告人に対してドイツ連邦共和国に戻る意志のないことを告げ、以後、長女と共に日本に居住している。

3  上告人は、平成元年七月八日、自己の住所地を管轄するベルリン市のシャルロッテンブルク家庭裁判所に離婚請求訴訟を提起した。右訴訟の訴状、呼出状等の被上告人に対する送達は、公示送達によって行われ、被上告人が応訴することなく訴訟手続が進められ、上告人の離婚請求を認容し、長女の親権者を上告人と定める旨の判決が同二年五月八日に確定した。

4  被上告人は、平成元年七月二六日、本件訴訟を提起した(訴状が上告人に送達されたのは、同二年九月二〇日である。)。

二  離婚請求訴訟においても、被告の住所は国際裁判管轄の有無を決定するに当たって考慮すべき重要な要素であり、被告が我が国に住所を有する場合に我が国の管轄が認められることは、当然というべきである。しかし、被告が我が国に住所を有しない場合であっても、原告の住所その他の要素から離婚請求と我が国との関連性が認められ、我が国の管轄を肯定すべき場合のあることは、否定し得ないところであり、どのような場合に我が国の管轄を肯定すべきかについては、国際裁判管轄に関する法律の定めがなく、国際的慣習法の成熟も十分とは言い難いため、当事者間の公平や裁判の適正・迅速の理念により条理に従って決定するのが相当である。そして、管轄の有無の判断に当たっては、応訴を余儀なくされることによる被告の不利益に配慮すべきことはもちろんであるが、他方、原告が被告の住所地国に離婚請求訴訟を提起することにつき法律上又は事実上の障害があるかどうか及びその程度をも考慮し、離婚を求める原告の権利の保護に欠けることのないよう留意しなければならない。

これを本件についてみると、前記事実関係によれば、ドイツ連邦共和国においては、前記一3記載の判決の確定により離婚の効力が生じ、被上告人と上告人との婚姻は既に終了したとされている(記録によれば、上告人は、離婚により旧姓に復している事実が認められる。)が、我が国においては、右判決は民訴法二〇〇条二号の要件を欠くためその効力を認めることができず、婚姻はいまだ終了していないといわざるを得ない。このような状況の下では、仮に被上告人がドイツ連邦共和国に離婚請求訴訟を提起しても、既に婚姻が終了していることを理由として訴えが不適法とされる可能性が高く、被上告人にとっては、我が国に離婚請求訴訟を提起する以外に方法はないと考えられるのであり、右の事情を考慮すると、本件離婚請求訴訟につき我が国の国際裁判管轄を肯定することは条理にかなうというべきである。この点に関する原審の判断は、結論において是認することができる。所論引用の判例(最高裁昭和三七年(オ)第四四九号同三九年三月二五日大法廷判決・民集一八巻三号四八六頁、最高裁昭和三六年(オ)第九五七号同三九年四月九日第一小法廷判決・裁判集民事七三号五一頁)は、事案を異にし本件に適切ではない。論旨は、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根岸重治 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告代理人永田誠の上告理由

第一 原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

すなわち、原判決は、離婚訴訟の国際的裁判管轄権について、「夫婦の一方が国籍を有る国の裁判所は、少なくとも、国籍を有する夫婦の一方が現に国籍国に居住し、裁判を求めているときは、離婚訴訟について国際的裁判管轄権を有すると解するのが相当である」と判示するが、これは、離婚訴訟の国際的裁判管轄権についての解釈を誤るものである。

一、離婚訴訟の国際的裁判管轄権については、我が国の法令上、明文の規定がない。そこで、これは、我が民事訴訟法の土地管轄(裁判籍)に関する規定から逆に推知する他はない(兼子一、民事訴訟法体系、[五九])。ところで、我が民事訴訟法の土地管轄(裁判籍)に関する基本規定は、「訴ハ被告ノ普通裁判籍所在地ノ裁判所ノ管轄ニ属ス」(一条)、「人ノ普通裁判籍ハ住所ニ依リテ定ム」(二条一項)となっており、この拠って来るところのものは、「訴訟は原告の方から被告と関係ある地点へ出向いて訴えることとするのが公平であるとの原則」である(兼子、体系、[八一])。この原則は、渉外的事件についても妥当するものであるから、結局、渉外的事件の訴訟について、当てはまる基本原則は、被告の住所地が管轄の決め手であるというものである。これは、財産的事件であっても身分的事件であっても基本的に言えることである。更に、訴訟の当事者が、日本人か外国人かに関係なく云えることである。であるから、原判決が、被告の住所地を全く考慮に入れないで我が国の国際的裁判管轄権を認めたのは、法令違背以外の何物でもない。もし、この原判決のような解釈が通るとすれば、本件のように、被告がドイツ連邦共和国に住んでおり、そこで定職を持って仕事に従事しているときは、被告が、防禦するために、例えば、ドイツでの婚姻生活の実態を証明しなければならず、離婚原因を証する書面は全部ドイツ語のものであるから、日本の法廷に提出するのにいちいち日本語に翻訳しなければならず、多大の不利益を強いられることになる。更に、事実関係について証人たり得べき人は殆どがドイツ人であり、ドイツで生活をしているから、そのような人を日本の法廷に呼び出すことになれば、被告に著しい不利益を強いることになる。そのようなことは著しく公平を欠くことになる。

二、この点についての判例をみるに、日本人が原告となっている離婚訴訟事件の管轄についての最高裁判所の判例は見当たらない。外国人同士の離婚訴訟事件の管轄については、昭和三九年三月二五日大法廷判決(昭和三七年(オ)第四四九号、最高裁判所民事判例集第一八巻第三号、四八六(七六)頁以下)(以下、昭和三九年判決と略称する。)がある。この判決も、実は、国際的裁判管轄を決めるのに、被告の住所地を原則的基準としているのである。すなわち、この判決は、事実の摘示をした後、項をあらためて、新しい段落を起こし、「思うに、離婚の国際的裁判管轄権の有無を決定するにあたっても、被告の住所がわが国にあることを原則とすべきことは、……」と書き起こしている。この項は、一般論的な記述となっており、原告が外国人か日本人かを問うような表現にはなっていない。もし、この、最高裁判所判決が、この決定基準を、外国人間の離婚訴訟にのみ適用させようとしたのならば、このように、何らの限定もなく、「思うに、離婚の……」という表現は取らず、例えば、「思うに、外国人間の離婚の……」というように、然るべき限定句を加えた筈である。現に、この判決以来、離婚訴訟の国際的裁判管轄が問題となった事例で原告が日本国籍を有し且つ日本に住所を有する場合に付き、判定基準として下級裁判所は、この昭和三九年判決に依拠している(例えば、昭和四〇年二月一七日東京高判、高裁民集一八巻一号九二頁、昭和四四年三月二〇日岡山地判、判例時報五六三号、七〇頁、昭和五九年一二月二四日大阪地判、家裁月報三七巻一〇号一〇四頁・判例タイムズ五五〇号二四八頁・国際私法判例体系4五九一七の二頁、昭和六〇年一一月二九日浦和地判、判例タイムズ五九六号七二頁、国際私法判例体系4五九八五の五頁)。

同じく外国人同士の離婚訴訟事件の管轄についてのもう一つの最高裁判所の判決は、昭和三九年四月九日の小法廷のものがある(昭和三六年(オ)九五七号、家裁月報一六巻八号七八頁以下、国際私法判例体系4五九六〇頁以下)。この判決でも、一般論として、つまり、原告が日本人か否かに関係なく、「しかし、離婚の国際的裁判管轄権の有無を決定するにあたっても、被告の住所がわが国にあることを原則とすべきことは、訴訟手続上の正義の要求にも合致し、またいわゆる跛行婚の発生を防げることにもなり、相当に理由のあることではあるが、……」と判示している。因に、田村精一、「離婚の裁判管轄権―否定、別冊ジュリストNo.16=渉外判例百選(増補版)、一六六、一六七頁、は、この判決の解説の中で、この判決は、昭和三九年判決「に示された法命題すなわち『原則として被告住所、例外的に原告住所を基準とする』に従いながら、本件は例外的場合に当たらぬとして、管轄権なしとしたものであり、したがって厳密な意味では、本件判決によってはじめて離婚の裁判管轄権につき被告住所地主義原則が確定されたものといえるであろう」とされている。

山田鐐一、国際私法、一九九二年版、四〇〇頁は、この二つの最高裁判所判決を当事者がともに外国人である場合にのみ妥当するものとは考えず、一般的な被告主義の原則と理解して、この立場を支持している。

下級審段階での判例をみても、被告の住所地が管轄を決める原則であるとの前提に立っているものばかりである。そして、原告が日本人であるが故に日本の裁判所に国際的裁判管轄権を認めた事例は皆無である(早田芳郎、「離婚の裁判管轄権」、別冊ジュリスト、No.188=渉外判例百選(第二版)、一八八、一八九頁)。また、原告が日本人であり、日本に居住していることの故を以って日本の裁判所に国際的裁判管轄権を認めた下級審判決も見当たらない。すなわち、我が国の下級裁判所は、原告が日本人である場合でも、日本の裁判所に国際的裁判管轄を認めるには、被告が日本に住所を有していなければならないとの被告住所地原則に立脚しており、原告が日本人であって、日本に居住している場合であっても、被告の住所が日本にない場合は、それだけでは日本の裁判所に国際的裁判管轄を認めず、その他に、

①被告が行方不明であるとか(例えば、昭和四七年一二月二五日名古屋地判・昭和四六年(タ)一六四号、判例時報七〇〇号一一一頁・判例タイムズ二九一号二三〇頁・国際私法判例体系2二七七七頁=被告が三年以上生死不明)、

②被告が原告を悪意で遺棄したとか(例えば、昭和三三年九月八日京都地判・昭和三二年(タ)三〇号、下級民集九巻九号一八〇八頁・国際私法判例体系2二六六五頁)、

③被告の悪意の遺棄と行方不明とが重なっているとか(例えば、昭和三三年七月一〇日東京地判・昭和三二年(タ)一四号、下級民集九巻七号一二六一頁、家裁月報一〇巻七号五五頁・判例時報一五八号一九頁・判例タイムズ八二号九二頁・国際私法判例体系4五九四二頁、昭和三五年六月七日大阪地判・昭和三四年(タ)一〇〇号、判例時報二四一号三六頁、国際私法判例体系2二六七二頁、昭和三九年八月一四日横浜地判・昭和三九年(タ)一三号下級民集一五巻八号二〇〇二頁・国際私法判例体系2二七三七頁、昭和四二年七月一四日大阪地判・昭和四一年(タ)一七一号、下級民集一八巻七―八合併号八一七頁・家裁月報二〇巻一一号一九〇頁・判例時報五〇五号五六頁・判例タイムズ二一〇号二〇七頁・国際私法判例体系2二五七五頁、昭和四四年三月二〇日岡山地判・昭和四三年(タ)一七号、家裁月報二二巻五号九四頁・判例時報五六三号七〇頁・国際私法判例体系2二七五二頁、昭和五五年八月二五日大阪地判・昭和五四年(タ)二五三号、判例タイムズ四三〇号一三八頁・国際私法判例体系1三〇五の一三頁、昭和四三年四月一六日札幌地判・昭和四二年(タ)一一号、下級民集一九巻三―四号合併号一九〇頁・家裁月報二一巻四号一七〇頁・判例時報五三四号七四頁・国際私法判例体系2二七四六頁、昭和四九年四月一六日名古屋地判・昭和四八年(タ)六八号、判例時報七四九号九二頁・国際私法判例体系2二七八三頁、昭和五一年一〇月二九日甲府地判・昭和五〇年(タ)三〇号、判例時報八五二号一〇三頁・判例タイムズ三五二号三〇九頁)、

④被告が異議なく応訴したとか(例えば、昭和五八年一二月一六日東京地判・昭和五八年(タ)三四一号、判例時報一一二五号一四一頁・判例タイムズ五二三号二〇九頁・国際私法判例体系2二五四一の九頁、昭和五九年八月三日東京地判・昭和五九年(タ)五九号、家裁月報三七巻一〇号一〇七頁・判例時報一一四九号一二二頁・国際私法判例体系1三〇五の七八頁)

の要件を備えていなければならないとしている。

こうみてくると、原告の日本国籍と日本居住とのみから日本に離婚の国際的裁判管轄権を認めた原判決は、最高裁判所の判例にも違背し、且つわが国の下級裁判所の判例にも合致しないものである。

三、次に我が国の学説の中には、離婚の国際的裁判管轄を決定する基準として国籍を考えるものと(例えば、夫婦のいずれの本国にも管轄を認めるものとして、実方正雄「国際私法概論」(再訂版)、一九五二年、二八八頁、久保岩太郎「国際私法概論」(改訂版)、一九五四年、二二二頁、折茂豊「国際私法各論」(法律学全集)、一九五九年、旧版、二五九頁など。被告の本国のみに管轄を認めるものとして、溜池良夫「国際私法講座」第二巻五七八頁、夫の本国にのみ管轄を認めるものとして、江川英文「国際私法(改訂)」有斐閣全書、一九七五年、一七版、二七二頁)、全くこれを否定するもの(池原季雄「離婚に関する国際私法上の二、三の問題」家裁月報四巻一二号六頁)とがある。しかし、国籍基準説は、山田鐐一「離婚の裁判管轄権」、ジュリスト五〇〇号所収、一九七二年、の管轄決定基準としての国籍の適格性に対する疑問提起を境にして影をひそめるに至っている(山田鐐一「国際私法」一九九二年、三九九頁)。

四、これら学説は、昭和三六年の法例改正要綱試案第一五の離婚の裁判管轄権の定めに甲案、乙案となって現れた。つまり、「離婚の裁判管轄について次のような趣旨の規定を設けること。その内容については次の両案があり、なお検討する。甲案(1)被告が日本に住所を有するときは、日本の裁判所に管轄権がある。(2)次の場合には、被告の住所が日本になくても、原告が日本に住所を有するときは、日本の裁判所に管轄権がある。(イ)原告が遺棄された場合、被告が国外に追放された場合、被告が行方不明である場合(ロ)被告が応訴した場合。乙案 当事者のいずれか一方が、日本人であるとき又は日本に住所を有するときは、日本の裁判所に管轄権があるものとする。」との試案がそれである。

昭和三九年判決は、その文言から、明らかに、この試案の甲案を採用したものである。すなわち、昭和三九年判決は、当事者の国籍を管轄の決定基準とはしなかったのである。そして、この判例に、日本人が原告である渉外離婚訴訟の下級審が依拠していることは既に述べた。

以上の次第であるから、「夫婦の一方が国籍を有する国の裁判所は、少なくとも、国籍を有する夫婦の一方が現に国籍国に居住し、裁判を求めているときは、離婚訴訟について国際的裁判管轄権を有すると解するのが相当である」との原判決の判断は、我が国の、離婚訴訟の国際的裁判管轄権についての学説にも判例法(判例による慣習法)にも違反することは明らかであり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第二、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

すなわち、原判決は、民事訴訟法二〇〇条二号の解釈を誤るものである。

一、同号は、成るほど、「敗訴ノ被告カ日本人ナル場合ニ於テ公示送達ニ依ラスシテ訴訟ノ開始ニ必要ナ呼出若ハ命令ノ送達ヲ受ケタルコト又ハコレヲ受ケサルモ応訴シタルコト」と規定しているが、この趣旨は、「訴訟の開始を知り防禦の手段を尽くす機会が与えられず、敗訴した被告たる日本人を保護する」のが目的であるから「小室直人、注解民事訴訟法(3)、三五二頁)、たとい、敗訴の被告が日本人で、訴訟の開始に必要な呼出が公示送達の形式でなされていたとしても、その被告が、既に、訴訟の開始を知り防禦の手段を尽くす機会が与えられているときは、外国判決は承認についての同号の要件を満たしている、と解釈されなければならないものである。被告が、既に、訴訟の開始を知り防禦の手段を尽くすことができたことは、乙各号証により明らかである(原判決は、判決書四枚目表一行目カッコ内でこれに反する事実認定をしているが、この認定は証拠を見落としたものであって到底承服できない)。

したがって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

第三、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について理由に齟齬がある。

一、すなわち、原判決は、民事訴訟法二〇〇条二号の「応訴シタル」との要件を全く吟味していない。

ここに「応訴したる」とは、悪意の債務者に、応訴しなかったことを理由に承認を阻止することができるという安直な道を開くのが趣旨ではないから、広く解釈さるべきであり、「被告の、およそ彼に対して訴訟が起こされたことを知っていたことを推定せしめるすべての反応をいう」と解釈されるべきであり(ツェラー、民事訴訟法、一五版、九二四、九二五頁、欄外注一三九=乙第一二号証)、このような事実があったことも、乙各号証で明らかである(原判決は、判決書四枚目表一行目カッコ内でこれに反する事実認定をしているが、この認定は証拠を見落としたものであって到底承服できない)。

これは、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について理由に齟齬があることになる。

二、原判決は、判決書二枚目裏一行目で、一審判決に、「控訴人と被控訴人は日本を何度も訪れていて、日本は控訴人と被控訴人との婚姻生活と牽連性を有する。」なる認定をつけ加えるが、この認定は明らかに経験則に反したものである。すなわち乙第三号証(被控訴人の旅券)八頁の日本国入国審査官の印影によれば、一九八八年八月五日上陸許可、一九八九年五月二三日出国、同一〇頁の同印影によれば、一九八九年五月一一日上陸許可(再)、一九八八年八月一一日出国となっており、この他に被控訴人の日本への出入国を示す印影は存在しない。これを経験則に照らして理解すれば、被控訴人は先ず一九八八年八月五日に日本に入国し、一九八八年八月一一日に日本を出国している。さらに、一九八九年五月一一日に再び日本に入国し、一九八九年五月二三日に出国している。それ以外に日本に来ていない、ということになる。すなわち、被控訴人は二回しか来日していず、しかもその合計日数は、出入国の日を算入しないで数えれば僅かに一六日に過ぎないのである。この事実を経験則に照らして理解すれば、とても原判決のように、日本が両当事者の婚姻生活に牽連性を有するとはいえない。

したがって、原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について理由に齟齬があることになる。

三、原判決は、判決書四枚目表三行以下で、「被控訴人は右訴訟提起前において、日本での代理人である弁護士を通じて控訴人の代理人である弁護士と交渉したことが認められるから、公示送達手続によらずに訴訟を進めることも可能であったと認められる」と認定しているが、「公示送達手続によらずに訴訟を進めることも可能であった」との認定は、証拠によらないものである。本件訴訟が公示手続によらざるをえなかった事情は、乙各号証、特に乙第七号証ないし乙第一〇号証の二、乙第一八号証から明らかに証明できるところであり、原判決がこの乙号証を見落として右の誤った認定をしたことは、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要事項について理由に齟齬があるといわなければならない。

以上のいずれの点からみても原判決は違法であり、破棄されるべきである。

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